在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

判断する。

作業基準量(ノルマ)を課せられた仕事(労働)にて、『耐(堪)えて勝つ』と言われて、以前の自分ならば納得しただろう。

 

しかし、耐えて勝つという精神論的な考えや言葉に疑問を抱く。

 

何故、やり方が違うのではないかと思わないのか?

何故、協力する(させる)という姿勢で向かわないのか?

などと他のやり方がないのかを考えてしまうので、どうもこのような精神論的な意見が耳障りに聞こえる。

 

もう少し色んなところに視野を、思考を広げたほうがよい。

自分が崇高だと人を見下しているのではないが、人は意外と無駄なことに時間を費やしているようにも思える。

そういった自分の行動から発生する事象に対して不満や不安を抱いているのは間違いないだろう。

 

例えば、人に教えてもらうことより、自分で調べるといったことをしない。

今、手元にスマートフォンないし、パソコンなどのインターネット環境があることを知っているのだろうか?

インターネットで調べると、多くの人たちが色んなことを教えてくれている。

確かに、個人差というものや、個人の感覚が情報としてあることが多いが、その個人の感覚などをみて自分自身で判断することが大切なのではないだろうか。

 

人は楽を選び、退化していく。

 

情報を集めるしんどさ、その情報を精査する力、その情報を得るための手段など使うエネルギーを使わないようにしている。

誰かに教えてもらう。

誰かが何とかしてくれる。

誰もがあなたの人生を生きることできないのに。

そうやってエネルギーを使わなくなってくると、どんどん退化していく。

筋肉と同じで、使えば使うほど効率よく使えるように変化していく。

筋肉を使わないと脂肪になっていったり、使わないから使いたい時に使い物にならなかったりする。

そしてその結果に対して不満や不安などを言う。

 

『それ、あなたが全てやってきたことの結果ですから』

 

よくあるのが『教えてくれなかった』。

もちろん、そう思うこともあるが、その『教えてくれなかった』ということに対して、教えてもらう必要があるのか、自分で気が付くことなのかでは違うと感じる。

『教えてくれなかった』ということに対して、何らかしらの形で気が付かせようとか、教えようとしている場合が多いと思う。

そして、その前兆に対して『拒否』もしくは『無視』を選んでいる自分が居ることを忘れてはいけない。

 

自分以外の周りの人であったり、何かの出来事は自分に必要なので現れる。

それをどう見て、どう取り、どう扱うのかは自分次第なのである。

 

と書いておいて、人生がゲームだとすればということがアタマを過ぎった。

このゲームは説明書や何の目的があるなど一切情報を知らされず、始めるようなもので、進めていくうちにわかるからということなのかとなる。

 

映画や小説など創作されたものは、相手に状況がわかるように色んな情報が散りばめられている。

そうでないと、何がなんだかわからないまま進むので面白いと感じるのが難しくなる。

 

色んな情報が散りばめられていることを知るには、主人公の目線だけではわからないのである。

主人公が気付いていないことだが、周りで起きていることは主人公以外の人や状況、環境が示していることが多いのではないだろうか。

 

それを自分の人生におき変えるとどうなるのか、主人公の目線というのは自分の主観でしかない。

主観以外の客観は、他者や自分が客観的に見ることしかできない。

もちろん、渦中に居ることを存分に味わうのであれば、主観のみでいいが、その渦中に対して不満や不安を持つことをしないほうがいい。

まるで遊園地のジェットコースターやお化け屋敷のように、何が起こるのかわからないのを楽しめばいい。

もし、楽しめないというのであれば、客観的に見る必要がある。

そのために、他者がいう情報や状況、環境から自分を見るとわかりやすい。

 

それには時間や判断、選択など様々な能力を使うことになる。

だが、精神論的な意見から導き出される答えはほとんど無意味、無力であると感じる。

もちろん精神論が全く意味のないことや力を持たないとは言わないが、今そこに必要なのか、その精神論が重要なのかといわば、おのずと答えが出てくる。

 

今回の『耐えて勝つ』という意見は、今そこにある場において責任転嫁の言葉であると思った。

ただ、自分自身の心の持ちようという意味では必要であり、その言葉のお陰で臨めたことであった。

 

耐えて勝たない方法が、その時点ではなかったのだろう。

ならば、状況に対して不満な気持ちを露にするのではなく、ぐっと堪えてやってくれという思いを伝えたかったのだろう。

 

このような考察を、常々するようにしておけば、能力は上がっていく。

このようなことを自分の力でわかっていくこと。

相手の意図がどうであったのかはわからずとも、自分なりに自分にとっていい形で取って行けば良いだろう。

 

人に聞くな、人に教えを乞うなとは言わないが、自分で色々と考察した上で確認したほうがよいことを聞いたり、教えてもらったりしたほうがよい。

 

精神論的な意見は状況に対して、自分の心の持ちようを言うことが多いが、その心の持ちようによりどうなるのかなどをしっかりと判断する。

 

退化していった先に何が待つのかを知れば、退化することよりも変化し進化していこうとする道を選んだほうがよいことも判断できるのではないだろうか。