在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

価値観が変わる

自分の年より上の人との話しはだいたい勉強になる。

年上の人と話していて、いいなと思ったことを実践してきた結果、あの時教えてもらったことを素直にやっていてよかったなと思える。

 

最近は、年上の人よりも年下の人と話す機会が多い。

年下の人たちは、昔の自分を見ているような気もする。

ああ、自分も同じような年頃は、そうだったんだろうなと振り返る。

 

その頃、大切に持っていた価値観は、たった何年かで変わってしまったと感じることもある。

どこに時間をかけ、どこにお金をかけ、何を重視し、何を気にしないのかなど。

若い頃は活力があり、怖いもの知らずであったために、様々なことに挑戦できた。

失敗しても取り返しが付くと感じていたし、全てのことに限りがないようにも思えた。

 

そんな気持ちは、年相応という言葉と共になくなっていった。

もちろん、今でも挑戦することや怖がらず飛び込むことはやめていないが、どこか危険予測をしてしまっている部分がある。

それは経験則から来るものでもあるが、以前のように向こう見ずのようなことはない。

 

だから、価値観なんてちっぽけなものだと思う。

自分が大切に持っていたはずなのに、気がついたら昔思っていた価値観は変わっていた。

変えたつもりはないし、変えようと思ったこともなかったのだが。

 

色んなことを経験し、学んでいくうちに価値観を知らずに書き換えていたのだろう。

どんどん、どんどんと、冷めていく自分が居る。

あの頃、たくさんあった情熱はどこにいったのだろうか。

現実を見れば見るほど、夢は見なくなる。

 

夢や目標を持ったとしても、それは今の現実からかけ離れたことではない。

現実との差分を見た上で、挑戦して手が届くか、届かないかのところに夢や目標を置いている。

 

だから、持っていた価値観を変えざる得なくなってくるのだろう。

それがいいのか、悪いのかではなく。

年月が経てば変わるような価値観を、ぎゅっと抱きしめることはないと思う。

ひとつのことに執着することも大切かもしれないが、それで可能性を狭めたり、低くするのであれば、捨ててしまえばいい。

 

本当に大切なものやことならば、一度捨ててもいつか戻ってくる。

それも体験したことのひとつだ。

捨てることを怖がってはいけない。

それがなくとも自分という存在は消えないのだから。